運命の卵に出会うまで
私は28歳から、妊活を始めました。始めた当時はこんなに長い間、悩むことになるとは思っていなかったです。
最初の頃に無排卵月経と言われたこともあり、漢方薬を飲んだりしていました。その治療が済んで暫くしたら、すぐに出来るかなと思ったりもしていましたが、全然上手くいかず、タイミング法、人工授精をしても駄目で、気付けば30歳を過ぎていました。
周りの友達とかも子供を出産して、先を越されてばかりで、焦る気持ちばかり増えていき、ショッピングモールなどで子どもの姿を見るのも辛くなってしまう時もありました。
卵管造影検査では痛みが強く、結果、片方の卵管のつまりが酷いとのことで、体外受精をしている病院へ転院をしました。
(夫とは何度か治療について話をしていましたが、なるべく自然に授かりたいとなかなかステップアップへの納得できずじまいで、それも辛かったです。)
結果:夫の精子の動きと量のこともあり顕微受精をしました。
1回目の移植で上手くいかず、何かないかと、ヨガをしてみたりラクトフェリンのサプリを飲んだりも並行しつつ、そこで、弦間先生の鍼治療のHPを見付け、お世話になり始めました。
2度目の移植、又しても駄目で職場のトイレでも泣いてしまったり、生理が来て、「何で自分は駄目なんだろ」という気持ち、当時は都留から甲府の病院へ通っていたので、負担もあり、仕事と治療の両立にも苦労しました。
弦間先生は優しく励ましてくださり、「絶対に授かれます。運命の卵が保管している卵の中に絶対にあるはずです。」と強くおっしゃってくださりました。
その言葉がとても心強く、次の移植で授かりたい。と強く願っていました。
何度か、病院の治療と弦間先生の鍼治療を続け、3度目の判定日、妊娠はしていたものの、ホルモンの値が低いと言われ、再判定日まで出来ることをしましょう。と看護師さんから励ましていただき、弦間先生にも相談をしました。
鍼をしてもらったり、お灸をしていただきながら、「きっと大丈夫。私は精いっぱいそのお手伝いをしますから。」と言って下さいました。
再判定日まで不安な気持ちでいましたが、少し安心した気持ちが沸いたのを覚えています。
再判定日に継続が確認でき、とても嬉しく、弦間先生に電話で報告をしました。
弦間先生も喜んでくださり、「良かったです。おめでとうございます。」と言ってくれました。
長くなり、すみません。その後、無事出産することができました。以上が私の経験です。
これからは、育児で疲れている身体のメンテナンスでお世話になろうと思います。
弦間先生に出会えていなかったら、自分の子供を抱ける日が来ることはなかったんじゃないか、、、と思います。
弦間先生に感謝の気持ちでいっぱいです。「本当にありがとうございます。」
